2011年10月28日金曜日

復旧作業続き

キャンプ場の復旧作業もだいぶ進みました。管理所もⅠメートルの浸水で
大変痛手を受けましたが大工さん三人で五日間工事していただき
なんとか8,9,10日の三連休にお客さんの受付ができるように
間に合いました。おかげさまで三連休には水害の状況をお話して
それでも良いですというお客様が100人位いらしてくださり大変
ありがたくうれしかったです。不備な状況にもかかわらずどのお客様も
文句もおっしゃらずに、また来ます!とか楽しかったです!頑張って
くださいとかの言葉をかけてくださりありがたかったです
こうして来てくださるお客様のためにも頑張らなくてはと改めて
思いました。
水害以降しばらく休んでいたホワイトプリンを久しぶりに作りました。
厨房もなんとか復旧できよかったです。お陰様でホワイトプリンも
二日間で25個お買い上げいただきました。うれしかったです。
そして16日には妹がホワイトプリンのイメージボード(看板)を
トールペイントで描いて来てくれました。心のこもったとても素敵
なボードです。大変うれしくありがたかったです。頑張る気持ちが
一層わいてきました。入り口脇の窓に下げました。
シックでとてもいい感じです。あとで写真アップしますね。
本当に皆さんの心使いに感謝いたします。ありがとうございます。

2011年10月13日木曜日

不屈の復旧作業

9月22日復旧作業第一日目キャンプ場の水害が思った以上にひどく
何からどこから手をつけたらよいのか判断決めかねていましたが、弟
達がすぐかけつけてくれて「まず、ここから始めましょう!」と管理所前の
大きく陥没した穴ふたつを埋めてくれました。ガチャガチャになった地面を
人力では大変なのに物が置けるようにと一輪車で何回も砂や石を運んで
平らにならしてくれました。私は管理所の中の片付けをしました。1メートル
浸水したのでメチャメチャで泥だらけですがとにかくここから始めようと
頑張りました。途中お兄さん達も手伝ってくれてだいぶはかどりました。
とても自分達だけでは途方にくれてしまうところでしたが皆さんが
かけつけて下さり大変ありがたく助かりました。次の日からも妹達夫婦や
従弟、子供達、親戚や知人、近所の方々などたくさんの方々のお力添えを
いただき復旧作業も順調に進みました。妹達は「お姉さんを笑わせる
ために来たよ」とか言って冗談を言いながら一生懸命荷物を運び出したり
泥を掻き出したりしてくれました。元気づけようとしてくれてるのが大変
ありがたくうれしかったです。弟達も水に浸かってダメになった畳200枚を
運び出してくれました。大変重労働です。腰が痛くならないか心配しましたが
大丈夫だったとのことで安心しました。子供達も休みを利用して手伝ってくれ
仕事の合間の休み無しはきつかったのでは・・・従弟は山積みになった砂を
ショベルカーで何回も何回も運び出し道を整備してくれたりたまった泥を
かき分けて砂を入れて地ならししたり倒れた木を切ったりと何日も
大仕事をしてくれました。小野瀬さんには崩れてしまった炊事場の流し台の
取り付けや排水、かまどの整備、バンガローの泥だしなどなど、親戚や知人
の方々も心配して電話をくれたりたずねて来てくれたりとたくさんの方々の
お力添えと御好意に深く感謝いたします。ありがとうございました。

2011年10月11日火曜日

ご無沙汰しました!

二ヶ月半ぶりのブログです。その間いろいろありました。七月半ばから二ヶ月間
上小川キャンプ場の管理所に夫婦で泊まりこみそちらの仕事をしてました。
今年の夏は原発の風評被害を受け、お客様は例年の五割にとどまりました。が、
そんな中来てくださったお客様には大変ありがたく感謝いたしております。
ありがとうございました。今年の夏に初めて販売した手作りホワイトプリンも
なかなか好評で170個お買い上げいただきました。おいしかったです!
との声などとてもうれしかったです。ありがとうございました。
その他ご感想など聞かせていただけると幸いです。
キャンプ場のお客様も一段落で台風15号が北上してくるとのことで
久しぶりに我が家に帰ってきた日9月21日にキャンプ場が水害に遭いました。
管理所も1メートル浸水し水の威力はすごいもので出入り口の扉や脇板をぶち抜き
冷蔵庫や机、流し台など押し上げ流し色んな物が流出しそこらじゅうが泥まみれに
なりました。木はたおれ地面は陥没し休憩所や炊事場、トイレ、シャワー室なども
流失したり破壊されました。そしてバンガローは38棟のうち36棟が床上浸水で
流されたり傾いたり破壊されました。砂が山積みになり泥がたまり歩行も困難。
こんな状況を目の当たりにした時、あ^あやられてしまったあ。
これでは年内は営業できないなあ。いったいなにから手を付けたらいいのだろう。
と呆然としてしまいました。
でもここから不屈の復旧作業が始まったのです。